目次
生い立ち upbringing
生まれ
料理人の父と美大卒の母との間で、姉と妹の3人兄弟の真ん中として生まれました。 子供の頃はかなり引っ込み思案だったので、母親からは「喋らない子」と言われていました。
実家は自営業として弁当屋をやっていて共働きで働いていました。 父と母は夜遅くに帰ってくることが多かったので、実家の近くの祖母の家で毎日夜ご飯を食べていました。
今振り返ってみれば、両親よりも祖母からの愛情を注がれた方が印象深い気がします。
暗かった中学時代
中学に進んだあと、一軒家を郊外に購入した両親。 そのタイミングで、両親の職場や私の学校の立地の事情で、毎日母親の車で送り迎えをしてもらっていました。
もともと仕事がそれほど好きじゃなかった母親は、店の経営がうまくいかなかった時期と重なって、イライラが溜まっていました。 一日中職場にいるので、イライラの発散は車の中にいる私と妹でした。
私は当時、母親のカウンセラー役になっていましたが、愚痴の内容が重たかったため、車で何度も嘔吐していました。 そんなこともあってか、中学生時代は暗い生徒でした。
音楽をやっていた高校時代
中学3年の頃、姉の影響でパンクロックにハマっていました。 自分の人生に真摯に向き合う歌詞や勢いのある音楽性の虜になっていました。 高校に入ったら楽器をやろうとずっと考えていました。
高校に入って軽音楽部に入り、バンドに入ってライブハウスに出演したり、音楽で他校での友達もたくさんできました。 ライブハウスには週3で通っていて、凝り性な性格も相まって楽器の演奏技術を評価してくれる人が周りにたくさん出てきました。 その経験もあってか、人に影響を与えるという素晴らしさを知りました。
大人になっても人に影響を与える人間になりたい。
この時の経験が、今の私の中のアイデンティティの中核になっています。
高校卒業後、プロミュージシャンを目指して単身上京
音楽を通して人に影響を与える人間になるために、高校卒業後は上京して1年だけ音楽の専門学校に通いました。 その時、寮に住んでいたのですがその時に同じ価値観をもったたくさんの友人ができました。
音楽を仕事にしたいという覚悟を持った友人たちだったので、一日中語り尽くした日もあったり、 色々な経験を一緒にさせてもらった友人でした。
プロとして芽が出ないまま7年が経ち…
上京してからもバンドを組んで、都内のライブハウスを中心にプロになるために活動していましたが、なかなかお客さんは付きませんでした。 バンド内でも、そろそろ諦める時かという空気が流れました。
私はプロになるために上京してきたので、何のために自分のが東京にいるのかわからなくなっていました。
そんな時、インターネットでたまたま見つけたサイトがコーチングの2日間のセミナーでした。
すぐに応募して、セミナーを受けた私はコーチングが持っている可能性や、 今までと全く別の視点で世界を見るような技術や視野の持ち方に惹かれていきました。
そんな中、大切な友人が亡くなりました。
彼は私がバンドを一緒に組んでいた友人でした。 バンドを解散して1年経った時のこと、友人から電話が来て知らされました。
死因は原因不明の自殺でした。
バンドを解散した後も彼とは遊んでいて、友人も多く彼女もいて、 別のバンドで頑張っていたため、自殺したことが信じられませんでした。
彼の告別式に参加すると
50人ぐらいの人が集まっていました。 その中には共通の友人たちもいました。
告別式の最後に、彼の棺に花を添えるため、私は列の後ろの方に並びました。
私の順番が来て、棺に花を添えると、その隣に彼のお母さんが立っていました。
私は彼のお母さんとも仲が良く久しぶりにあったので挨拶しようと思って近づくと、 彼のお母さんは私と目があった瞬間泣き崩れてしまいました。
こんな形で再会させちゃってごめん!!
そう私に言い放ったお母さんの姿を見た時は、とてもショックを受けました。
改めて自分を振り返った時、人に影響を与える人間になりたいと思って上京したのに、 目の前の大切な友人のサインすら気づかなかったなと、とても悔しい気持ちになりました。
その時に原点に振り返り、コーチングを仕事として行って、目の前にいる人に絶対に良くなってもらう。 その影響を与えるための人間になるという自分の信念が芽生えました。
トニーロビンズが使うコーチング技術を鼻血が出るまで
私にコーチングを詳細まで教えてくれた人は、中城拓哉さん。
彼は私のコーチングの師匠として今でも仲良くお付き合いしています。
彼は世界NO1コーチとして知られているトニーロビンズのリーダーシップマスタリーというプログラムで、 欧米のトレーナーにコーチング技術を習得して日本で活躍しているコーチでした。
このコーチングプログラムは、トニーロビンズが使っているコーチング技術をそのまま教えるという技術でした。
4年間は、ずっと下積みとして彼にべったりくっつきながら、座学だけではなく、現場感覚のコーチングを学びました。
彼が行う勉強会では、終了後目が充血して、何度も鼻血を出すことがありました。 覚える知識が多いことと、頭を使いすぎた結果だったと思います。
コーチングを受けたクライアントは?
師匠のお陰もあってコーチングの技術はみるみるうちに磨かれていきました。
ありがたいことに私のコーチングを魔法のようだと言ってもらえるクライアントも何人もいました。
業界の中で他のコーチにもたくさん出会って、セッションを体験した方もいますが、いつも技術について質問されていました。 法人に入って社員向けのコーチングをはじめた時も、会社の業績が上がったり、 メンタルヘルスが必要な社員の出社日数が上がったり、若手社員が先輩社員を抜いてトップセールスになったりと、 驚くような結果を出すことができました。
そして今….
たくさんのクライアントさんにも支えられて、私自身もコーチとして成長してきました。
はじめは人に影響を与える人間になりたいという想いで磨いてきたこの技術ですが、 実際にたくさんの人や会社に影響を与えてこれたと思います。
私はどんな人でも、ものすごい可能性を持っていると思っています。 そして、ほとんどの人はそのものすごい力を内に秘めたまま眠らせてしまっていると思っています。
私の仕事は、眠った力を引き出して、その人が本来持っている力を出すことで、 その人が望んでいる未来を歩むためのお手伝いをすることです。
これを読んでくれたあなたにも、そんなものすごい可能性と力が眠っていると信じています。
